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1978年(昭和53年)4月4日、当時空前であった後楽園球場に5万5千人を集め、マスコミが歌謡界史上最大のショーと呼び、日本でもザ・ピーナッツ さよなら公演以来2例目となるお別れコンサート(ファイナルカーニバル)が行われ、4年半の活動に終止符を打った。この模様は全国にテレビで中継され、高視聴率を獲得している。最後に述べた「私たちは幸せでした」の口上も有名。
コンサートの最後に歌われた「つばさ」は先に解散を知った全国キャンディーズ連盟の有志が作った「3つのキャンディー」という歌への返歌として伊藤蘭が作詞したものである。歌う前に伊藤が「やはりこの歌を歌いたい」と言ったのはそのためである。その後は公に一度も再結成をしていない(ただしプライベートでは、解散後も3人揃うことがよくあったという)。この点では事務所の先輩であったザ・ピーナッツも同じである。
コンサートの最後に歌われた「つばさ」は先に解散を知った全国キャンディーズ連盟の有志が作った「3つのキャンディー」という歌への返歌として伊藤蘭が作詞したものである。歌う前に伊藤が「やはりこの歌を歌いたい」と言ったのはそのためである。その後は公に一度も再結成をしていない(ただしプライベートでは、解散後も3人揃うことがよくあったという)。この点では事務所の先輩であったザ・ピーナッツも同じである。
他の水曜どうでしょうシリーズ
「クイズ試験に出るどうでしょう」
「東京ウォーカー/サイコロ」
「原付ベトナム縦断1800キロ」
「ホラー ドラマ 四国 R-14」
「香港大観光旅行」
「北極圏突入〜アラスカ半島620マイル〜」
「ジャングル・リベンジ」
1993年10月4日〜1995年6月29日まで北海道テレビ放送で放送されていた深夜番組。
北海道テレビ放送の人気バラエティとして放送している「水曜どうでしょう」、「ドラバラ鈴井の巣(鈴井の巣)」、「ハナタレナックス」などのスタッフが制作、これらの番組は「モザイクな夜V3」の流れを受けている。初回は直前の番組「トゥナイト」を休止し23:55からの拡大版で放送し、華やかにスタートしていた。
「おっぱい出したら、数字があがる!」と社内をあげたアダルト的な要素、報道番組やドラマなどのパロディーを放送する低俗番組だったが、初期の水曜どうでしょうでも放送されたアーティストインタビューなども放送していた。
北海道のローカルタレント大泉洋(当時、『大泉元気(元気くん)』で出演)や、のちに水曜どうでしょうやドラバラ鈴井の巣などで放送された雅楽戦隊ホワイトストーンズのデビュー番組でもある。
「クイズ試験に出るどうでしょう」
「東京ウォーカー/サイコロ」
「原付ベトナム縦断1800キロ」
「ホラー ドラマ 四国 R-14」
「香港大観光旅行」
「北極圏突入〜アラスカ半島620マイル〜」
「ジャングル・リベンジ」
1993年10月4日〜1995年6月29日まで北海道テレビ放送で放送されていた深夜番組。
北海道テレビ放送の人気バラエティとして放送している「水曜どうでしょう」、「ドラバラ鈴井の巣(鈴井の巣)」、「ハナタレナックス」などのスタッフが制作、これらの番組は「モザイクな夜V3」の流れを受けている。初回は直前の番組「トゥナイト」を休止し23:55からの拡大版で放送し、華やかにスタートしていた。
「おっぱい出したら、数字があがる!」と社内をあげたアダルト的な要素、報道番組やドラマなどのパロディーを放送する低俗番組だったが、初期の水曜どうでしょうでも放送されたアーティストインタビューなども放送していた。
北海道のローカルタレント大泉洋(当時、『大泉元気(元気くん)』で出演)や、のちに水曜どうでしょうやドラバラ鈴井の巣などで放送された雅楽戦隊ホワイトストーンズのデビュー番組でもある。


